「新埼玉」9月号・2-3面より
梅村さえこ1964年6月愛知県生まれ。日本民主青年同盟副委員長、消費税をなくす会事務局長など歴任。前衆院議員。党准中央委員。参議院比例代表予定候補。蕨市在住 |
田中煕巳1932年中国東北部生まれ。長崎市にて被爆。元東北大学工学部助教授。工学博士。日本原水爆被害者団体協議会事務局長を歴任。現在、同代表委員。新座市在住 |
前衆院議員の梅村さえこ氏(参院比例代表予定候補)と日本被団協代表委員の田中熙巳氏が、核兵器禁止条約の採択に至るまでの経緯や日本のヒバクシャが果たした役割、朝鮮半島の非核化をめざす動きなどについて語り合いました。
核兵器禁止条約/ヒバクシャの訴えが世界を動かした
梅村さえこ × 田中熙巳 対談
田中「核兵器の非人道性を世界に訴え」
梅村「世界の流れを変えた市民の運動」
梅村 核兵器禁止条約が国連で採択されるなど、この1年、被爆者の活動が日本や世界を動かし、勇気をいただいています。世界を股にかけて活躍されている田中さんはこの1年間の変化をどう実感されていますか。
田中 去年の7月7日、原水爆禁止世界大会の直前に国連で核兵器禁止条約が採択されました。3月に国連で条約交渉会議が始まり、こんなに早く採択されるとは思っていませんでした。条約は122カ国の賛成で採択されたのですが、9月20日の署名式で署名したのは50カ国で、批准は3カ国のみでした。そんなものかと思いましたが、国際問題の専門家に言わせると、批准はそう簡単ではなく、条約発効まで5~10年かかることもあると言われました。CTBT(包括的核実験禁止条約)と違って、米国が批准しなければ発効しないという条件はないので、2020年までにはとにかく50カ国以上の批准をえて条約発効までもっていきたいと思っています。
梅村 安倍首相は、広島・長崎の平和の式典で禁止条約について触れませんでした。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した時にもコメントしませんでした。
田中 交渉の段階から日本政府は核兵器禁止条約に反対でした。昨年の(長崎市の)平和式典の後、被爆者との懇談があり、そこで「総理はどこの国の総理ですか」とせめられても安倍首相は一言も語らず、その後の記者会見で「署名も批准もしない」と言いました。正直言ってノーベル平和賞は日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の方がICANよりずっと以前からノミネートされていました。ICANと一緒に被団協にもくれれば良かったとは思いましたが(笑い)、被爆者の長年の訴え、とくに「核兵器の非人道性」に対する運動がICANの受賞に反映されました。被団協も授賞式に一緒に出席することができ、日本の被爆者の働きにも光が当てられたと思っています。
梅村 田中さんは今年の長崎の式典で被爆者を代表してあいさつされましたね。
田中 私は「平和への誓い」のなかで、総理自らが署名も批准もしないと言ったことを「極めて残念だ」と批判しました。「平和への誓い」を長崎県外の在住者が述べたのは初めてでしたので、現地のメディアも注目しました。1200字、5分という限られた範囲で「思い」を述べる。かつてなく緊張しました(笑い)。
梅村 どのあたりが一番苦心されましたか。
田中 新聞記者からも同じ質問をされました(笑い)。被爆者が背負ってきた思いや体験などをどう織り込むかで苦労しました。被爆者が被爆後10年にわたって放置されてきたこと、3.1ビキニ事件を経て、ようやく全国の被爆者が手を取り合うようになったことなど、私にしか言えないことも盛り込みました。最初の原稿には「ヒバクシャ国際署名をさらに推進し」という言葉は入れてなかったんです。
梅村 アドリブですか。
田中 そうです。これが一番大事なので、これを入れないと埼玉には帰れないと思いました。(笑い)。
梅村 核兵器禁止条約交渉会議で議長を務めたホワイトさんは、「被爆者の皆さんの出席がこの会議の成功を導く何よりの推進力だった」「その被爆体験は全ての代表を感動させ、人間の魂に訴えるものだった」とまでおっしゃった。それを聞いた時に、被爆者の長いあいだの命をかけたたたかいが実をむすんだと思いました。
田中 その通りですね。
梅村 海外に被爆体験を訴えに出かけるようになったのはいつ頃ですか。
田中 被団協として組織的に始めたのは結成されてすぐです。1978年に第1回国連軍縮特別総会が開かれたとき、代表団500人のうち40人が被爆者でした。日本の代表が要請に行くときには必ずその中に被爆者を入れて発言させるという条件でした。第2回が82年で、3回目が88年。国連特別総会に多くの被爆者が行ったということが大きいです。
梅村 禁止条約の採択も、そうした長い積み重ねが大きな力になったんですね。
田中 NPT(核拡散防止条約)再検討会議の場も、大きな力になりました。NPTは1970年に発効し、95年に無期延長になってから5年ごとに再検討会議が開かれるようになりました。この会議の時に、国連の建物のなかで原爆展をやりたいと働きかけ、2005年に初めて実現し、それがとても評判が良かったんです。2回目が2010年で、その時も大歓迎され、2015年と3回、国連本部で1カ月間開催しました。そのことは各国の代表も知っていますので、そのことが核兵器の非人道性を理解させるうえで大きな貢献になりました。
梅村 ああ、やっぱり被爆者の皆さんに、ノーベル平和賞をあげたい(笑い)。
この1年でいうと、南北の朝鮮会談、米朝の首脳会談が行われ、朝鮮半島の非核化、北東アジアの平和構築という大きな変化がうまれ、ここでも、核兵器禁止条約の流れが大きく影響を与えたと思うのですが。
田中 米国が北朝鮮に対して圧力をかけて対立が激化していることが大変心配でした。あまり制裁を強めると、かつて日本が戦争を開始した時のような危険性があるのではないかと。それが、トントン拍子に交渉が進んだので、大変いいことだと思っています。
梅村 平昌オリンピックでの北朝鮮との対話がきっかけで、これが南北会談、米朝会談へとつながっていきました。その文在寅大統領誕生の背景には、韓国市民によるろうそく革命があり、市民の代表として誕生したことが大きな力になっています。その韓国の市民からは、北東アジアの平和という点で連帯して、憲法9条をもつ国でのたたかいに期待しているとのスピーチが国会前行動でありました。武力ではなく、対話で平和をつくっていく、大国中心の動きを市民の力で変えられるということで、昨年7月の国連での出来事が市民運動を勇気づけたのではないか。被爆者の皆さんが果たされた世界での役割、北東アジアでの役割というものが非常に大きかったと思います。
田中 日本の市民団体はもともと、韓国・朝鮮の問題は北東アジアの非核化でしか解決できないことを主張してきました。6カ国協議が途絶えているなかで、文大統領がうまれ、彼は何とかして核兵器禁止条約を生かして、オリンピックの機会に北朝鮮と交渉できないかと考えたと思います。時間はかかるけど、北東アジアの非核化というなかで北朝鮮の問題を解決しなければならない。日本も米国の核の傘の下にあるわけだけど、それを放棄することも含めて北東アジア全体の非核化ということで解決していく流れをつくっていくことが大事だと思います。
梅村 そういう意味では被爆国、日本の署名運動の役割が大きいですね。
田中 結局、核兵器保有国の市民が、「自分の国を守るのに核兵器はいらない」ということにならないといけない。そういう世論をつくるには、数億の(国際署名の)賛同が必要だというので決めた目標です。NPT再検討会議の2020年までにやりあげる。その前段階で核兵器禁止条約ができましたが、核保有国は否定しています。核保有国の国民が変わらなければいけない。しかし、アジアではまだまだ被爆者の訴えに対して冷たい。自分たちを侵略したことを反省していない、被害ばかりを言っていると受け止められています。アジア諸国への私たちの運動は特別の手立てが必要です。
梅村 終戦記念日でも安倍首相は侵略戦争への反省を述べませんでした。北東アジアの平和や非核化との関係で言うと、侵略戦争をきちんと反省をするというケジメがまだ国としてついていないということが同じ根っこにあると感じました。
田中 一応、ケジメをつけたことになっていたのに、それをひっくり返してしまったのが今の政権です。
梅村 文大統領は国連で、これからの課題は多いが、暴力よりも平和の力が世界をより大きく変えられることを証明したと演説しました。9条を持つ日本、被爆国である日本の役割が、いっそう大きくなっています。同時に、核兵器を持っている国の巻き返しがあって、せめぎ合いになっています。トランプ政権は核態勢の見直し(NPR)を発表して小型核兵器を開発し、核兵器使用の敷居を下げる方針ですし、ロシアも新型の核兵器開発を発表して先制使用の訓練をしているという現実もあります。
田中 核保有国は核抑止力を信奉しているので、そこからの脱却という政策はとったことがないのです。現在の核兵器の状況は各国とも「老化」しているので、いかに新しくしていくか、強化していくかということにしか関心がない。核兵器をゼロにするには、核保有国が核兵器禁止条約締結国にならないとダメなんですけど、まずは、核兵器禁止条約が発効すれば、核兵器に「悪の烙印」が押され、違法化されるわけですから、持っていても使えないということが明確になります。そうすれば世論も「使えないようなものになぜ金をかけるんだ」というような動きも出てくるでしょう。核兵器国の世論を変えることと、条約を発効させていくことを一体として運動をすすめていくことが大事になっていると思います。
梅村 今回の動きのなかで一つ確信したことは女性の活躍が非常に目立ってきていることです。禁止条約でもジェンダー平等がうたわれ、女性の意思決定機関への参加や、核兵器の使用が女性に及ぼす影響などについて規定されています。
田中 国際的に女性の権利を向上させ広げていく動きと、核軍縮をめざす動きが重なり合って、広がってきました。被爆者運動では初めから女性たちの活躍が大きい。国際的には、中満泉さんが国連軍縮担当上級代表で頼もしい限りです。
梅村 核兵器禁止条約の問題では日本共産党も国会で質問し、追及してきました。国際署名で世論を高める運動をしながら、市民と野党の共闘を広げ、国民の運動で政治を変えていけるようにがんばりたいと思います。
田中 一番がんばっているのが共産党だと思っていますが、他の政党や議員がどう動くかというのが大事だと思います。そう意味では市民運動の役割が重要なんですが、議員に対する働きかけや対話をあまりやらない。自民党を含めすべての政党に働きかけないと政治は変わらない。埼玉選出の議員にどんどん意見を言っていくことが大事です。安倍政治にモノを言う議員をつくる。その議員をつくるのは選挙民ですから。
梅村 世論をつくりながら、選挙の時には核に固執するような政党を少数に追い込んで、核兵器禁止条約lを国会で批准できるような政治の流れをつくっていかなくてはいけない。今がその大きな分かれ目の時かなと思いますので、私たちも全力でがんばる決意です。何か党への要望などあれば。
田中 本音の話をされるということです。街頭での話を聞いても難しい話をされていると思います。原稿を読んでいるようでは人の心をつかめませんよ。少し間違ってもいいから自分の思いを語ることだと思います。
梅村 今日はありがとうございました。